2020-05-19

5月19日(火)お休みの日の普通の話

昨日あれからアマプラで「キツツキと雨」を観ていたので、はっと起きたら6時55分!ラジオ英会話を聞き逃してしまった脱力感・・・ラジオ体操もせず、録画しておいたエールを観つつビックブレックファーストを食べました。新聞を読んでいたら猫のギーマンが新聞の上に乗って来たので諦めてネズミさん(おもちゃ)を紐にくくりつけてブンブン回していたら猫のモモリ(毎日呼び名が進化するのです)が観客席に座りました。はりきるギーマンでしたが途中で私が飽きたので着替えるために二階へ行ったら二人(二匹)とも嬉しそうに一緒について来て来ました。ベランダで外の空気を楽しんでいるうちに私だけそっと退散して顔を洗ってお化粧をしました。(バブルな日々を過ごしたせいかどんな日も気合を入れるためにお化粧をする私)
昨年の5月に大好きなDJ佐藤弘樹さんが亡くなってから7時からの朝のラジオを聴かなくなってしまっていたのですが、久しぶりにmacahoの番組を聞いていると「藤井風」というアーチストがゲストに出ていました。弾き語りでテイラースイフトのカバーを歌い出して、鳥肌がたってきて急に踊りながら掃除を始めました。波動が伝わって娘も掃除を始めるというボジティブ連鎖。改めて「音楽の力はすごい!」と思いました。お陰で整理整頓もできてスッキリ!。早速you tubeで検索して動画を見たらピアノを弾く指の動きやら釘付けになりました。夕方マーキーの番組を聞いていたらまた彼が出てて、とうとう飛行機雲を一緒に熱唱してしまいました。ふぅ。自由だなー三連休。 そもそも自分のやりたいことで生きて来てるのに、何故にここで自由を感じているのか?と改めて考えてみました。やっているうちに維持するためや、関わってくる諸々に対する責任感、だけど自分の機嫌を取るために残りの時間を使い切るという、どうしてもみっしり状態になってしまう。もうずいぶん昔からのことだ。  そこへコロナが世の中の価値観とルールを変えてくれて、私は束の間の自由を感じているのかなぁ。 昨日観た「キツツキと雨」の影響で昨日の夢の中で私と小栗旬は恋人同士でした。私は靴をなくしたので小栗旬が古い大きな車で迎えに来てくれるんです。地下に作業場があってトイレにゾンビが住んでいました。夢ですよ夢。 映画はというと、細部のこだわりがとても気持ちいい、胸がキュンとする作品でした。役所広司が素敵です。温泉のシーンが見ものです!(夢に出てくくる意味がわかります)そしてエンディングの星野源の曲が極め付けに最高です。森の匂いがして来そうでした。 ちなみに映画の中の親子のシチュエーションと、今日聞いた藤井風のシチュエーションと、我が家のシチュエーションが、同じ世代すぎてワッカが重なり合っているようでした。「なるほどそういうことか」って思いました。 コロナで束の間の自由を感じる日々を無駄にするものか!と目を瞑って「キツツキと雨」の晴れ間と森の風景を体に取り込むのであります。 つづく。。